断捨離に目覚めた理由
うちの実家はマジで母親が掃除にうるさいのです。
さぞやミニマリストの方々のような部屋で?とお思いだと思うのですが、室内はわりと物が多いのです。
そして、面倒くさいことに用途別に同じものが存在するのです。
「〇〇用の〇〇」「△△用の△△」といった具合に無限に存在するのです…
例えば雑巾ひとつとっても、
「これは神棚用の雑巾」
「これは床①用の雑巾」
「これは床②用の雑巾」
「これは壁①用の雑巾」
みたいな調子で「雑巾」というグループ内に各メンバーがさらに存在するような状態なので、減らせないのです。さらにこのルールにのっとって物を取り扱わねばならないので(例:〇〇はAの位置に置いてもいいけど△△はAの位置は不可。但しBの位置はOK)暮らしていてストレスが半端ないのです。
そう、我が家では物ゆえに人が苦しみ悲しむ事態になっていたのです。
しかし暫くの間、私はタイで生活するはめになりました。
タイで住んでいたコンドミニアムは我が家に限らずですが、家具家電が全部家に備わっている状態なので、身ひとつで移住することができます。
しかしそれにも拘わらずあれが要るこれも要る、と日本からせっせと荷物を郵便で送っていました。送料のことは思い出したくありません。しかも送る際にきっちり送り状に内容物を書いておかないと、内容物のリストと実際に入っている中身に相違があった際に、税関で税金を取られる羽目になります。
ちなみにきっちり書いておけば税金は取られないのか?と言うとそうでもなくて、内容次第では、中身を改めることなく普通に税金が取られます。しかも内容物の金額の40%です。
なぜ、荷物を受け取るだけなのにそんな金を払わなければならないのか。
謎です!
更にこの荷物、普通にコンドミニアムの管理人室止めになっており、管理人室で預かっている旨は管理人(タイ人)は教えてくれませんでした。国際郵便の追跡サービスを確認してみると、「到着」扱いになっているのに…なぜ…?と思って管理人室に行ってみたら、室内に見覚えのある段ボールが!
私「私の荷物来てるよね」
管「来てないよ」※何の確認もせずのたまう
私「アレが私が日本から送った荷物に似てるんだけど」
管「あ~これね!あなたの荷物みたいだね!あったね!」※悪びれもなく言う
なんやそれ!
もうちょっと仕事しろや!
お前は一体何を管理してるんや!
そんな苦難の道を越えて来た荷物ですが、実際使ったかと言えばそんなでもありませんでした。むしろ無くても困らなかったのです。それが私の気持ちをまたもブルーにさせました。
しかもタイは硬水で生活用水は普通に石灰が混じりまくっています。服は洗っているうちにごわごわになっていきました。白いTシャツは見たこともないような絶妙なグレー色になっていました。捨てました。沢山の服が硬水と石灰の餌食になり、死んでいきました。
こうしているうちに私は一つの結論に至ったのです。
こんなもんいらん!と…
簡単に言うと物の管理がめんどくさくなったのです。そして物を置いておくための労力やお金が勿体なく思うようになってしまい、今絶賛断捨離中です。自分的には結構思い切って捨てているのですが、世間で言うミニマリストには程遠い感じです。
でも明日死んだ時に、遺族が私の荷物を捨てるんだよな~と思うと、残す物は厳選しておいたほうがいいなと思い、なんとか頑張って片づけたいところです。
ニーチェの名言で
「ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、
一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。」
というのがあるらしいですが、これミニマリストとか断捨離とかに通づるものがありますよね。良い言葉だと思います。
物に振り回されるのではなく、物を有効活用しなきゃなあと思うのでした。